144年以上にわたる建設の歴史。ガウディの革命的な構想から、スペイン内戦による中断、そして21世紀の完成へ向けた壮大な物語。
サグラダ・ファミリアの建設は1882年3月19日、聖ヨセフの日に始まりました。当初の建築家は教区建築家フランシスコ・デ・パウラ・デル・ビリャールでしたが、設計方針の違いから1年後に辞任。1883年、31歳の若き建築家アントニ・ガウディが後を継ぎました。
ガウディは前任者の新古典主義的な設計を破棄し、独自の革新的なビジョンを展開します。彼は残りの人生43年間をこの聖堂に捧げ、最後の15年間はサグラダ・ファミリアの建設現場に住み込みで作業を続けました。資金は信者の喜捨のみに頼り、公的補助を一切受けない「贖罪教会」として建設が進められました。
従来のゴシック建築が外部の支柱(フライングバットレス)で建物を支えるのに対し、ガウディは内部の柱だけで荷重を支える革新的な構造を考案しました。彼が着想を得たのは「自然」でした。
1926年6月7日、ガウディは路面電車に轢かれる事故に遭い、3日後に73歳で亡くなりました。彼はバルセロナ市内の路面電車事故で倒れた老人として発見され、質素な身なりから浮浪者と思われたほどでした。ガウディはサグラダ・ファミリアの地下聖堂に埋葬されています。
1936年のスペイン内戦では、ガウディが残した設計図や模型、弟子たちが作成した資料のほとんどが焼失・散逸しました。これによりガウディの構想を完全に実現することは不可能となりましたが、職人たちの口伝えや外観のデッサンなどわずかな資料を元に建設は継続されました。
1980年代から工法の変化と経済成長により、建設ペースが大幅に加速しました。特に2000年代以降、3Dコンピューター解析とCNCマシン加工の導入により、ガウディが手計算で設計した複雑な曲面を精密に再現できるようになりました。当初300年かかると見積もられていた工期は大幅に短縮されました。
2010年11月にはローマ教皇ベネディクト16世がミサと聖別を行い、サグラダ・ファミリアは正式にバシリカ(聖堂)として認定されました。
2026年2月、18本の塔の中で最も高いイエスの塔(高さ172.5m)の頂部が完成し、ウルム大聖堂(161.53m)を超えて世界一高い宗教建築となりました。ガウディ没後100周年にあたる2026年6月10日には完成記念式典が予定されています。
ただし全ての建設工事が完了するわけではなく、栄光のファサード、大階段など2034年まで建設が続きます。大階段の建設には敷地の拡張が必要で、周辺住民の立退き問題も生じています。現在も建設中の姿を見ながら観光できる、世界でも稀な現役建設中の世界遺産です。